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猥らな虫 辻村 隆

 これは最近、KK通信を通じて知り合ったK氏から、逢って直接聞いた話である。

 その日、私は、近鉄奈良線沿線の、花園駅を下車、歩いて約三丁ばかりのA村に住むK氏をわざわざ訪れた。

 私を迎えたK氏の顔には、暗く淋しいかげりが見えていたが、それでも努めた笑顔で私を招じ入れた。
 私は座につくなりそうそうにたずねた。
「あなたのお便りで知ったのだけど、奥さんと別れられたについて、何か変わった事情でもあったのじゃなかったのですか?……。なんとなくそう思ったのですけど−−」
「はっきり申せば、逃げられたのですよ。いやあなたにことの次第を話せば、また、雑誌の材料にでもなることでしょう。
 ひょっとするとその目的でこられたのじゃないかな……」
「書いていいことと、悪いことくらうば心得ていますよ。万一、筆にしたとしても、あなたの信用を落すようなことはしないつもりです−−」
「いいですよ。あなたが書かなくても私自身告白文を書くかもしれない。
 改まると話しにくいが、まあボツボツしゃべるとしましょうか」

 K氏はちょっと言葉をきって、私の眼元をじっと見つめながら、想い出を追うのかしばららく考えてから、ポツリとつぶやいた。

「ちっぽけな、一匹の体内の小虫から、こうしたいまわしいカタストロフを生もうとは、私はまさか予測もしなかったですよ。寄生虫にくわしいあなたならもちろん知っておられるでしょう。
 ホラ、幼ない子供達がよくわかすギョウチュウという小虫を−−。あいつが、私の最愛の妻の富子を、私の手許から奪い去ってしまったのですよ」
「…………」
「こう申しても、恐らく想像もつくまいでしょう。順を追って始めから話すことにしましよう」
 K氏はツト立上ると、サントリーの角瓶とグラスを二つ戸棚からとり出してきて、私にすすめながら語り始めた。

 もう建ってから相当なるのだろう。黒ずんで薄暗く、変にだだ広い平家建ての旧家で、女中も置かずただ一人、味気なく住むK氏と、火鉢をへだてて向かいあった私は、ぞくぞくと身に滲む寒さを耐えながら、彼の語る異様な妖しい話に.魅き込まれていった。

 *  *  *

 私の最愛の富子は、もとは看護婦でした。
 盲腸で入院した私に、夜昼附き添って、優しい看護をしてくれてからというものは、富子は私にとって忘れられない女性となりました。激しい身を灼く恋心がつのって、私は富子の思惑もものかわ、まるで奪い取るように私のものにしてしまったのです。
 黒い髪の乙女−−”ジプシーの月”のワルツの中に出てくる、月にむせびなくあのジプシー女の形容がまるでピッタリとくる富子でした。
 パーマやヘップバーン・スタイルがほとんどのこの時代に、彼女はめずらしくも、23歳にもなりながら、なお黒髪を長く肩に垂らした、子供ッぽいあどけなさを失わずにいたのです。

 小じんまりした顔の造り、小さな唇、華奢な小鳩の様な胸、そのくせ、どんな苦難にも堪えそうな、芯のしっかりした半面を持った、南国肌の乙女でした。

 もうよしましょう。惚れた弱身とはいえ、いまさら去った妻の面影をしのんでみたとて、ただ胸が痛むだけです。

 富子と同棲して、夢中のうちに一年も経った頃だったでしようか。
 まだ幸か不幸か、二度も流産が続いて子宝に恵まれなかった私達にとって、比較的甘い順調な生活が続いていたのですが、ある朝、富子は私に、さもいい難そうにもじもじしながら、それでもささやくような小声で、、
「あのうー、近頃ね、妙にお尻のあたりがむずがゆいの、いやあーね、どうしてかしら」 顔を真赤にそめて私に告げたのです。

 私も以前薬問屋に勤めていた関係から、多少は寄生虫に対する予備知識も持っていましたので、富子の言葉に、これはて。きりギョウチュウのしわざに違いないと直感しました。
「富さんはまだ子供っぽいから、きっとギョウチュウをわかしたのだよ。夜になって温まってくると、お尻がかゆくなるんだろう? よしっ、今夜にでもひとつ見てやろう−−」
「あらっ、覗いて見るのっ、いやよいやよ、そんな気まりの悪いこと……」
「いまさら恥ずかしがることもないじゃないか。じゃあ教えてやろう。寄生虫のうちでも、カイチュウ、ベンチュウ、十二指腸虫、条虫のたぐいは、検便しないことには、はっきりわからないが、このギョウチュウというやつは、適当な湿度と温度の条件が揃うと、夜中や寝る前、ぞろぞろと肛門からはい出してくる始末におえないやっかいな虫なのだ。
 雄虫は腸内で一回の交尾をすますと、はかなくも死んで、便と一緒に排出されてしまうが、交尾をすました雌虫は、肛門のふちに卵を生みつけに出てくるのだ。
 だから検便しても卵は便に混じらないからほとんど見落してしまうがこいつはやはり、見て確かめるのが一番だよ。
 ね、だから見て上げよう−−」
「だって……」
「いいんだよ。それに富さんのお尻を覗いて見るなんて、チョッと変わっていて面白いじゃないか」
「悪趣味ね、いやよ。絶対にイヤよ−―」

 富子は羞恥に身をくねらせて、私のしゃべるのを、やめさせるように、唇を押しつけてくるのでした。

 そんな冗談をいって私は出勤しましたが、その夜、フトその朝の言葉を想い出すと、私はそばの、寄り添うようにしてものいいたげな富子に、そっと囁きかけたのでした。

「富子−−、朝の約束通り一度見てやろうか。遠慮しなくてもいいんだよ。夫婦の仲で恥ずかしがることもないじゃないか。やはりかゆいのだろう?」
「ええ……でも−−」
「いいんだよ。さあうつむいてごらん」

 私は富子のあるかなきかの返事を押えつけるようにして、なおも躊躇する彼女をやにわにくるりとうつむかせました。
 長い黒髪が乱れて、夜具に深々と顔を押しあてたまま、富子は観念したのか、私のなすがままに任せました。
 私の予想したごとく、一センチにもみたぬ、絹糸のようなギョウチュウが3匹程、じりじりとわずかな蠕動を続けて、這いまわっていたのです。

「いたよ、やっぱり、わいていたんだね。しばらくじっとしておいで−−。とって上げるから」
「…………」

 富子は羞恥に堪えぬごとく無言でそっとうなずきました。私は大急ぎで布団の下からちり紙をとり出すと、手につかぬよう、慎重にギョウチュウを紙でつかみました。
「ホラ、ごらん−−。こいつがかゆい正休だよ」

 富子は私のさし出したちり紙を、さも怖いものでも見るように黒い瞳をしばたいてじっとみつめていました。
 チリ紙にへばりついた、白っぼいちぎれた糸屑然の小虫は、よくよく確かめねばわからぬ程に、哀れな残骸を留めていたのです。

「たった、これっぽっちの虫のために、あれ程かゆく感じるのかしら……」
「肛門からはい出す瞬間に何ともいえぬ掻痒感を覚えるそうだ」
「まるで嘘のようネ」

 冨子はあわてて身仕舞をただすと、夜具の上にきちんと座り直して、真赤に染めた頬を輝やかせながら改たまった声で、
「あなた、ご親切に誠に有難いしあわせでございました」
 というと、急に自分でおかしくなったのかそれとも照れ臭さをかくすためか、転げるように笑いこけたのです。
「ホホホホ、でもよかったわ。私、もう一時はどうなることかと思って……。だって、あなたったら、真面目くさって、私のお尻を覗くなんておっしゃるんですもの。随分恥かしかってよ。でも、もういいわ。これからかゆくなれば、いつも覗いてもらうことにきめたから……」
「女房の尻を覗く男か、こいつは傑作だ。しかしね。虫だって馬鹿にできないんだよ。知っている範囲内で教えてやろうか−−」
「ええ、神妙におうかがいしますわ」

 富子はなにがおかしいか、なおもくっくっと独り笑っていました。
「こいつがわくとかゆいから知らず知らずお尻をかくのだが、特に女の場合、こいつが帰り途を間違って、とんもない処へ侵入することがおうおうにしてあるんだ。自然、かゆいのでその部分に手がいくから、変なことを覚えるのさ」
「変なことってなに?」
「つまり、思春期の悪習。なんだ ?知らないのか。……? まあ知らきゃや知らないでいいさ。つまり女の悪癖の64%がギョウチュウのしわざだというから、猥(みだ)らな虫だよ、こいつは−−。
 栄養を吸収するようなことはないのだがかゆいからどうしても、不眠症や神経質になりがちでね。特に前に侵入した時に、それが原因で腔炎やラッパ管炎、子宮内膜炎等を誘発することがあるのだ。浣腸が一番いいんだよ。ギョウチュウ専門の″ウリノール″という浣腸もあるけど、食酢や石鹸水やクレゾールのうすめたものでもいいんだ。毎晩寝る時、根よく続けて浣腸すればすぐとれるさ。”プトラン”とかいうギョウチュウ駆除薬もあるけど、何といっても浣腸に限るんだ。さっそく明晩から浣腸してやるから−―。ね、いゝだろう」

 私は受け売りの博識ぶりを発揮して、浣腸のいかに効果があるかを、なおもくどくどと強調したのです。

「だっ浣腸なんて随分気持ち悪いでしょう。私、女学生の時だったかしら、とても便秘して、一度だけグリセリン浣腸してもらったけど、たちまちお腹がグルグルと鳴って痛くなり、お便所へ駆け込んだ途端、お尻のしまりが急になくなったようで、それにとっても派手に鳴るんですもの。お便所を出る時、誰も聞いてやしないかと思ってあんな恥かしい思いしたことなかったわ。毎晩なんて考えただけでもゾッよ」
「大丈夫、ギョウチュウの浣腸は酢か、石鹸水だけだからそんことはないよ。かえってかゆい時など気持ちいいくらいだ。じゃやるんだよ。やるね−−」

 私は駄目を押すと、富子はしかたなさそうにコックリとうなずきました。
 気に入らぬことがあると、何日でも、ものをいわぬ富子の強情さの反面に、こうした素直なところもあったのでした。

 翌日、私は薬局で浣腸器を買い求めると、そうそうに戻りました。

 夜がくると、富子は私にさとられぬよう気を配ってはおりましたが、いかにもせつなげに腰をもじもじさせて、懸命に掻痒感をこらえようと努力しているようでした。私の側でお尻をかくという、はしたない行為が、富子にはどうしてもできなかったに違いありません。

 私はさりげなく、
「浣腸器を買ってきたのだよ。浣腸すればピタリとかゆみが止まるが、どうだ、やってみるか」
「なんだか恥ずかしいわ。だけど……いやだといってもあなたは無理やり押さえつけても、自分のしたいと思うことはやり通す人だから……覚悟することにきめたわ」
「なんだ、いやに恩にきせて−−。かわいそうだと思って、わざわざ買ってきてやったんだぞ。じゃあ、液体をつくるとしようか−−」
 私は寝巻のままのこのこと起き上がってそのくせ口とは反対にいそいそと、台所で食酢を水に薄めて約倍量にして、コップに入れて枕元へ運んできました。
 20cc程を浣腸器に吸い上げると「さあ、いいかい。少しの我慢だ。冷めたいが、かえって気持いいかもしれないよ」
「とうとう浣腸されるのね。でもあなただからいいの……。あまり痛くしないでね」

 富子はそういって、まるで罰でも受けるように、愁然とした小さな顔を、組み合せた両腕の中に埋めて、観念していました。

 しばらくして、ぐったりとした富子は、うつむけのままじっと動かずわずかに腹部でグルグルと液体の回転する音が耳をつきました。

「どう?………」
「なんともいえない変な気持ち。お腹が鳴るようできゅーっと脇腹が痛むような……」
 冨子はまぶしそうに私を眺めると、私の視線をまともに受けて
「いや」
 と顔を両手でおおってしまいました。

 このようにして浣腸がかかさず1週間も続いたでしょうか。

 日を追って、冨子の浣腸に対する激しい羞恥心は、一枚一枚薄布をはぐように薄れて行くのがわかりました。

 その間、私はわざわざ友人から顕微鏡を借りてきて、排出されたギョウチュウを、オベクトグラスにとって100倍に拡大しては、富子と一緒にレンズを覗いて見たこともありました。

 視野に拡大されたギョウチュウの、胴体いっぱいにぎっしりつまった卵は、むしろ鮮やかな程に整然として、まるで何かの図案の模様さながらに見えました。
 細長い外米そっくりのギョウチュウ卵があの痛々しく思われる程の蕾の周囲に、産みつけられていくのだと思うと、慄然として顔を見合せため息をついたこともありました。

 しかし、富子の掻痒感もすっかりなくなり、浣腸にも終止符の打たれる日がきました。

「しばらく浣腸ともお別れね。だけどおかげですっかりかゆくなくなったわ。ホツとしたわ」
「よかったね……。でも……」
 もう浣腸ができないので、何かしら物足りなくなるよ、といおうとして、私はかろうじて声をのみました。

 私自身、今、アヌスに対する憧憬と、浣腸に憑かれていること事に気づいたからです。

 私達二人の生活は素に戻りましたが、時として、あの浣腸を行う時の刹那の愉しさを思い浮かべては、一味の物足りなさを感ぜずにはいられませんでした。

 しかしそのことは、私一人の思いではなかったといえましょう。
 富子にとってもあの浣腸の、冷めたい液体が腸内に浸透する瞬間の快感?−−すでに快感と呼んでいいでしょう−−を忘れかねていたようです。
 何かの話の時に、
「浣腸ってへんな気持ちだけど、その瞬間、身のおきどころのないような気分に誘われるのよ。
 なんでもない時に浣腸なんかしてはいけないものかしら?……」
 と、暗に浣腸を望む口ぶりで、そのくせ、自分の言葉にハッとして、
「でも、やはりいやね。あんなこといやだわ−」
 と、大急ぎでかぷりをふって否定するのです。
 恐らくは、心の中を見透かされたバツの悪さをカバーする、富子のはかない否定の言葉だったのでしょう。

 だが、ギョウチュウはおうおうにして自家感染するものです。肛門周辺や直腸のギョウチュウ群はおろし得ても、下ばきに附着し、またかいた手指の爪に便乗したギョウチュウ卵は、再び口に入って、6週間もすると、またしても成虫となってアヌスを襲うのです。

 私遠の場合、幸か不幸か、体内で育成されたギョウチュウが、富子に、再び掻痒感を与え始めた頃、もはや以前のような浣腸程度の生やさしい方法くらいで、掻痒感を抑制しようとはしなくなりつつあった彼女の胸中の変化を、私はその夜はじめて知りました。

 富子は私が床につくのを待ちかねていたように、困った表情をうかべて、そのくせ、内心期待に胸をうずかせているのが、歴々とわかるはずんだ声でそっとささやきかけてきたのです。

「ねえ、またとってもかゆくなってきたのよ。
どうしましょう……」
「え、またかい。そいつは弱ったな」
 といったもののさして弱った顔でもなく私もまた、浣腸とアヌスヘの悦びに急に胸を躍らせたのです。

「また、浣腸してくださる?」
「もちろん−−、もっと濃いのを、もっと多く……」
「かゆくって、しかたないの。がまんできないのよ」
「よし、さっそく浣腸してやろう。今すぐ酢を薄めるからね−−」

 私は勢いよく起き上がって台所へ立とうとしました。

「ねえ……」
 富子は、なぜか訴える眼つきで、私の寝衣の裾をつかんで引き止め、哀願するように、じりじりと私の両脚を抱え込んだのです。

「お願い−−、暗くして、ね−−」
「だって、浣腸するのだろう?……」
「ええ、いえ、もういいの……暗くして」
 富子のどちらともつかぬ返事に、私の気持ちも宙に迷ったまま、それでも彼女の燃えるような激しい眼ざしに気圧されて、私はパチリとスタンドのスイッチをひねったのです。

「ね、いいからこれを使って……。何もいわないで−−。しからないで……」
 私の手を探るようにして握らされたものが、−−−−であることを知った時、私は思わずハッと息をのみ、次いで体中の血がカッと熱くなるのを覚えました。

 そうか、そうだったのか−−。私は浣腸器に代わる、この種のものが、掻痒感を一時的にもせよ抑制すると共に、それが被虐的快感を与えるものであることをその時知ったのです。

 私の知らぬ間に、富子はこうしたもので、自己悦虐を行っていたのではあるまいか?
 そのことに思い当たると、私は急に富子の秘密を瞥見したい慾望にかられました。

 尋常の手段では恐らく富子は拒むだろう。
 私はとっさにそう考えて、そっと寝衣の紐を解くと、闇の手探りに、いきなり富子の両手を引き寄せ、縛ろうとしました。
「あッ、何なさるの。いや、離して。いけない−−。いやよ。縛らないで、堪忍して−」
 必死にもがく富子を、私は男の力で押さえつけ、両手を後手に縛り、なおも足をパタバタさせるので、ついでのことに、片足ずつ別々に手当たり次第の帯や、腰紐でぎゅっと胸のあたりまで脚をあげて首にまわし、その上から、太腿から腰にまわしてかけた帯で、足を別々に固定させてしまいました。
 富子はなおも私の行為を非難して、必死になって叫んでいました。
 私の心はすっかり逆上してたのでしょう。やにわに枕カバーを外すと富子の口に押し込み、その上から枕をおおってあったタオルで、さるぐつわをはめてしまったのです。

 ハアハア肩で息をしながら、私の手はスタンドに延ぴました。
 スイッチの廻転と共にサッとあかるい灯影が、情容赦もなく、無惨に縛られた富子の姿を照らし出しました。
 恨みをこめた、涙のいっぱいにたまった眼で、富子は私をにらみ、いきなり激しくガパッと首をそむけると、忍んだ鳴咽が、乱れた黒髪の隙間からもれてきたのです。

 私自身、嗜虐の感情を蓄積しているにもかかわらず、私の手によって行われたものでない、こうした痕跡をまのあたりに見て、何故とも知らぬ怒りが勃然とこみ上げてきたのです。
「馬鹿ッ、なんだってこんなことをするのだ。いつ覚えたのだ。−−どうして知ったのだ−−いえ、いわないのか−−」
「………」
「どうして黙ってるのだ。なんとかいえッ。誰に教えてもらったのだ。−−強情なやつめ。いわないな−−」

 私はわけのわからぬ、自分でも説明のつかぬ怒りと、一つは私の知らぬ間に行われた肉体の冒涜に腹を立てて、一言もしゃべらぬ富子に、なおさらいら立たしさを感じて、いきなり長くのびた黒髪をぐっとつかむと、部屋中をズルズル引ずりまわしました。
 ところかまわず殴りつけました。柱の所まで引きずっていきぎゅうぎゅうと縛りつけると、パシリパシリと平手で皮膚に掌形がつく程、双丘を叩きのめしました。

 私の気持ちは収拾のつかぬ嗜虐の快感に溺れていたのでしょう。
 私が富子のいましめを解いたのか。それとも彼女自身どうにかして解いたのか。今でも、あの夜のそれからのことは、はっきり覚えておりません。
 嗜虐の夜が明けて、頭の重い目醒め−−。昨夜のことが淡い悔恨となって、重苦しい苦渋と重なって、いまさらながら、ああまで手荒なことをせねばよかったと秘かに悔いていた頃、すでに富子は私の手もとより遠く離れて、何里か先をたどっていたのでした。

「富子、おおい富子……」
 私は、毎朝の例で、彼女を呼んだのでしたが、ひっそりとした家の中は、コトリともせず静まり返っていました。

(失敗った! 富子に逃げられた−−)
 最愛の富子は私の手許から去った。きっと昨夜の出来事に愁心の胸を抱いて、淋しく去ったのだ−−。
 この私が悪かったのだ。ああどうしよう。嗜虐にかられてのあまり、とり返しのつかぬことをして、いまさら−−、もう再び私の懐に帰ってこないのではあるまいか。
 不安とたまらぬ焦燥と暗い心を抱いて、一日二日私は何も手につかず悩みました。
 三日目−−。一通の手紙を受取りました。
 住所もかかず、裏に唯二字″とみ″という字に、私は気もそぞろに封をきりました。
 これがその手紙です。読んでください。

「前文ごめんくださいませ。
 数々のお情身に泌みて、とみは今、これを泣きながら書いております。私がああした人にいえぬ秘密を持っていたことを、最愛のあなたに知られた時、もう駄目だと覚悟しました。
 お怒りはごもっともでございます。でもどうしようもなかった私の性癖−−。
 すっかりお話しいたせば、かえって哀れなとみと、あなたにもわかっていただけるかと存じまして、あなたとの楽しい幸福な一年間をまぶたに浮かべながら告白を書きしたためております。
 じつを申せば、私が看護婦をいたしておりまして、あなたにお目にかからぬ以前から、すでに私はアヌスに対して人知れぬ秘密を抱いておった身体でした。
 あの外科病院に勤める前、とみはR肛門科に最初の半年間を勤めておりましたのです。
 明け暮れ覗くのは肛門ばかり。坐薬や浣腸や、痔疾の裂傷の処置、そんな環境の中で、とみは先任のUさんから、
「すっかり治っているのに、浣腸してほしいばっかりに来るクランケだってあるのよ。
 やっていて慣れてくると、気持ちいいらしいのね。一度貴女も浣腸してあげようか−−」
 と、こんな冗談をいわれて、思わず真赤になった事もありましたけれど、ついに本当にUさんから浣腸され日るがこようとは思いもしませんでした。
 便秘がつづいて、五日もお不浄に行かない時があって、苦しくて苦しくて、先生に聞けぱ、それは肛門の入口で、宿便が石塊のように固まっているからだ。浣腸して柔くし、ほぐして出してもらいなさい−−と無雑作にいわれまして、Uさんから浣腸していただいたその時の気持ち−−正直に申して、それは決して快よいものではありませんでした。
 二度、三度続けるうち、Uさんが激しい浣腸マニアであることをとみは知りました。いつしか私もアヌスに激しい興味を覚えるようになりました。
 Uさんがお嫁入されてから、私も独りになって、いつしかそんな行為から遠のくようになり、時たまクランケのはなはだしい痔ロウやイボ痔に出くわしては、かえって肛門病の恐ろしさを知らされて、もうあんなことはすまいと、秘かに心に誓った私でしたのに……。
 運命の皮肉と申しましょうか。あなたとの楽しい夢のような生活のすきまに、ふと魔物のように忍び寄ったギョウチュウのしわざのため、とみの心の奥深く眠っていた浣腸願望は、知らず知らず私の意思とは反対につのってきたのでした。
 とみは、あなたにそのことを打ち明ける前から、ギョウチュウのしわざであることをチャンと知っていました。
 私が秘かにねがっていた通り、あなたは浣腸をすすめられ、私にしてくださいました。その時はどんなに嬉しかったでしょう。
 あなたは得々とギョウチュウの害を話されましたけど、看護婦の私がそのことを知らぬはずがありません。どんなに耐えとうとしても笑えました。まして、真剣な顔で説明なさればなさる程−−。
 毎夜のごとく、最愛のあなたから浣腸されたあの頃のとみは、なんという幸福者でしたでしょう。
 けれど−−、ギョウチュウがすでに私の体内から、一匹残らず駆除されました時は、私はいうにいえぬ淋しさを覚えました。

 時々あなたは、もの言いたげになさいました。私はそのつど、胸をどきどきさせて期待しておりましたが、ついにあなたはいわずに通してしまわれたのです。

 いったんアヌスの願望に憑かれたとみは、眠っていた子が起されたようで、どうにも我慢ができず、あなたか会社へ出られた後、心ゆくまで浣腸の愉しさにひたり、それもやがては、あの肛門科時代の器具にまで思いをよせて、矢もたてもたまらず、ローソクや万年筆や試験管、ひどい時はザラザラの十能の柄のようなものを使ってまで、自分の慾望を満足させていたのです。
 けれど、やっぱり自己満足は、後味にいやな自己嫌悪を泌々と感じるだけで、どうにかして、あなたの手でこれを行っていただきたいと願ったのは、私の異常な性癖のなす業だったのでしょうか。
 −−あの夜、私はギョウチュウにかこつけて、それとなく訴えました。あなたは快く、むしろいそいそと浣腸の準備に立たれたように私には思われました。
 しっかり手に握りしめたローソクが今だ今だ、早くと私にせき立てるように感じられ、私は必死の思いであなたを引き止め、最後の切札をさらしたのでしたが……。

 やはりあなたは怒られました。とみは生れて始めて縛られ、柱にくくりつけられ、さるぐつわをはめられ、蹴られました。

 しょせんとみとあなたとは違った世界に住んでいるのでしょうか−−。私は自分の秘めた性癖を知られた時、あなたを最も愛するがゆえに、恥と悲しさに骨身を削られる思いで、慟哭に悶えながらあなたのもとを去る決心をしたのです。
 愛想をつかされたとみ……。今となっては再び私を以前のように愛してもいただけないと、身寄りもないとみは、淋しい淋しい気持ちを抱いて、あなたのお側から遠く去っていきます。

ジプシー女のようだと、いつも私の黒髪をなでられたあなた−−。
 小さいからとみは六頭身だと笑われたあなた。
 ワルツの”ジプシーの月”を歌いながら、優しくくちづけされたあなた−−。

 何もかもみな、過ぎ去りし夢の一こまです。今こそいえます、猥(みだ)らな虫といわれたギョウチュウよりも本当の猥らな虫はとみの心に根強く住んでいたことを……愛するがゆえに去ったとみを恨まないで−−。いついつまでも、おしあわせにお暮しの程を祈り上げます……」

 あれ程愛しながら、最後までわからなかった女心、私は一生、富子の幻を追って探し求めていくことでしょう。還ってくれトミ−−。彼女の性癖を知って私は、物狂わしくなる程に富子が恋しくなりました。
 何も手につかぬ私の気持ちもわかっていただけると思います。
 風の使りに聞けば、富子は故郷の宮崎県の椎葉に近いS町に帰ったとか−−。ここ数日の間に、私は遠く宮崎へ、富子を探し求めていくつもりです。

 *  *  *

 九州宮崎のT子として、寄せられた浣腸願望の一女性の短かい通信は、或あるは彼女ではなかろうか−−。
 そのような想像をたくましくしながら、私は初冬の田園都市を駅へと急いだ。
 駅前のパチンコ屋から聞えてくるレコードが、

 ♪久し振りだな、お富さん……
 ♪せめて今夜は、さしつさされつ…… 

 と、今流行の″お富さん″をかけているのにも、何か人生の皮肉さを感じつつ歳末の慌しい構内への階段を上がっていった。
(了)
(『奇譚クラブ』昭和30年2月号)

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