←リストに戻る 1234567891011121314|15|16

腕    三谷 祥介


 風速15メートルの季節風が、ひと晩中あばれていた。しかし、朝になると、どこへ吹きぬけていったものか、そよともしない静けさになった。
 私は事件のない宿明けをよろこんで、そろそろ帰り支度になったが、そこへ突然、所轄署の江川刑事が現れて、
「特使にまいりました」
 という知らせであった。もうひと足で退庁するところだったが、私は特使をうけたので、調べ室に戻ってきた。
「なんだい。ものは?」
「土蔵破(むすめし)でございます」
「いまどき珍らしいじゃないか。手口を見てきたかい」
「見てきました」
「場所は?」
「それが…」
 と江川刑事はセビロの内ポケットから見取図を引き出した。現場はもと陸軍病院の別館で、病理学の研究資料を蒐集した標本室のひと棟であった。
「見事な手口です」
「被害の物件はなんだい」
「被害といっても…病理学の一室ですから、なにもございません。アルコール漬けにした嬰児だの、内臓がならんでいるんです」
「それでは、盗難にかかったものはないのか」
「現場へ立ち会ったのは、野村という舎監でございました。部屋の担当者が見えないと、くわしいことはわかりませんが、アルコール漬けにした腕が盗難にあっております」
「腕? 不思議な事件だね」

 私はじいッと考えにふけった。が、どうしても呑みこめない──土蔵破の手口をこなすには、年期を入れた賊でなければ出来ないが、私の知るところでは、仙台生まれの大工職で、賊を働くようになった筒井亀吉、それから、沖仲仕だった月島の信太郎、もと九州の熊川で、筏(いかだ)を流していた宮下良助、坊主くずれの島田真道などがある。ただ、これら五本の指に満たない土蔵破は、戦争まえすでに年貢を納めていた。
 亀吉と信太郎は刑務所で病死したし、刑を終わって出獄した宮下良助は、中風を病んで宮崎県の妻というところにおり、坊主くずれの島田は行方不明だが、生きていても76という老人である。土蔵破の手口をこなす賊は、そのほかにはない筈だ。私はなお念のために、全国から集まってきた手口カードを調べたが、土蔵破の肩書がつく賊は、終戦後になっていちにんもなかった。

「現場を踏んで、ひさしぶりに、土蔵破の手口を拝見しよう」
 私は宿明けの刑事を引きつれて、病院の別館へ自動車を乗りつけた。やがて野村舎監や、病理学室の担当者である今関医師にむかえられ、別館の周囲をこつこつ歩いた。
 土蔵破はヒマラヤ杉を利用して、山越しの手口を使っている。梯子(はしご)をかけて屋根へあがると、瓦を一枚いちまいはぎ取って、ものの見事に天井を切り抜いていた。私はその手口のあざやかさに舌を巻いた。
 風速15メートルの深夜に、屋根の上でこれだけの手口をこなす賊は、よほどしっかりした腕だが、戸惑いして病理学の標本室へ入ったのはいよいよおかしい──カケダシの忍ならいざ知らず、これほどの土蔵破がヤマ見をとらない訳がなかった。ヤマ見というのは、あらかじめ盗みをする家の様子をうかがって、品物や金の出入りのヤマを踏むことだ。
「まさか質屋の土蔵と間違えたんじゃないでしょうね」
 と野村舎監は、なんだか得体の知れないものに襲われた表情で、不審の眉をひそめていた。

 私等は、部屋の入口に立ち、厳重な錠前をはずして大扉を引きあけた。天井は引き窓のように口が開いて、そこから青空が見えていた。
「この部屋は、いつも錠前をかけておくのかね」
「ほとんど用のない部屋なんですからね」
 こういって今関医師は、アルコール漬けの人肉について、それを記録してある台帳を持ち出した。

 盗まれた腕の主は、もと陸軍の伍長で、野田榮太郎というものだが、昨年の2月に手術をおこない、肩のつけ根へ約15センチを残して切断した。この腕が病理学の研究資料として保管された理由は、右の手首から腐敗しはじめてやがてそれが、全身に及ぶおそれがあるという奇病だったからだ。病院では努力を惜しまず、病毒菌の発見に苦心の研究をつづけたが、日本の医学はついに敗北した。それは奇怪な病毒菌の発見が出来ず、遺憾ながら匙をなげて切断するという結果になったからである。そこでこの腕は、罹病のときから手術までの経過を記録し、永く病院に保存されて、病毒菌研究の資料となるものだった。

「僕等にはなんでもないがあなたがたには、貴重な腕だったんだね」
 私は真面目な気持ちで気軽に言ったが、すこぶるまずい結果になった。というのは今関医師の反感を買って、
「われわれには、法隆寺の壁画以上に貴重なんだ」
 とひったくるような口調で復讐された。


 医学界で問題になった奇病の右腕──と聴かされただけで私の第六感は、犯人を医師のあいだにもとめようとした。そこで私は、手術をうけた野田榮太郎に面会することがいそがれる。まず彼の口から犯人捜査の参考資料を聴きこまなければならない。恐らくこの事件は、謎の病毒菌を発見するために、ひたむきな努力をつづけている医師があって、手段をえらばぬ不敵な決意になり、土蔵破を手先に使って、病院の屋根裏を破ったものに相違ない──私は、記録台帳から野田榮太郎の現住所を書き取った。現場から宿明けの刑事たちを帰してしまうと、ひとり文京区の老松町へ急行したが、護国寺前へさしかかると、交番に組長の樫村巡査が立っていた。私はいきなり飛びこんで、
「索引を見せてくれないか」
 といい、帽子をアミダにして額の汗を拭き取った。樫村巡査は笑って、
「受持ちの管内でしたら、索引なんか見なくてもわかってるんですが…」
 といい、
「野田榮太郎…? それは土建屋の野田組のことでしょう」
 と彼は器用な手つきで戸口簿冊をめぐり、わけもなく野田の家族を見せてくれた。それによると、世帯主は野田忠造となっていて、榮太郎はその長男であった。妻の昭子との間には子供がなく、建次郎という一人の弟があって、帝大の法科に通学していた。家族たちのほかには、姓の違った女の名前が二ツならんでいた。
「これはなんだい?」
 と不審したが、樫村巡査はこともなげに、
「女中です──」
 と答えた。
 私は、これ以上、野田の家庭について知る必要がなかった。そこで講談社ビルの裏手から坂路を登りつめ、野田邸の冠木門をくぐった。玄関まで、両側には沈丁花が美しく刈りこまれて、むせかえるような香りがただよっていた。
 取り次ぎに出たのは若い女であったが、名刺を通じると奥座敷から野田榮太郎が出て来た。彼は大島紬の和服を着て、玄関さきへ突ッ立ち、
「警視庁の刑事さんですか、いらっしゃい」
 こういって野田は唇を噛んだ。
「ごく内密に、お話がうかがいたくて、お邪魔にあがったんです」
「内密…」
 と彼は考えて、
「それでは二階へご案内しましょうか、わたしの書斎がいいでしょう」
 野田にはなんのわだかまりもなかった。私は彼のあとから庭に面した廊下に出て二階へ通るのであった。そして茶を運んできた女が引きさがるまで、座布団の上へかしこまっていたが、やがて足音が階段から遠ざかったので、
「じつは手術をなすったあなたの腕のことについて…」
 と切り出した。野田の、鼻筋のとおった白い顔が、かすかに痙攣した。
「昨夜、病院の屋根裏を破って、あなたの腕を持ち去った賊があります。これについて、なにかお心あたりはございませんか」
 野田はそれまで、片手を火鉢へかざしていたが、ぐッと火箸をつかんで悲痛な面持になった。彼はじいッと炭火を見つめて沈黙した。
 私はケースから巻タバコを引き出し、掌へぽんぽんと打ちつけると、炭火をうつしてすうッと煙を吐き、まともに相手を見つめていた。しかし私の眼は、野田を観察しているのではなかった。むしろ磨きあげた鏡へ、一挙一動を写しとろうとする、無我にひとしい心境だった。こうして私は、いつまでも待っていた。待っていることは、相手に納得と決意をうながすことになる。ところが野田は、片手をいきなり懐中へしまいこんで、さッと立ちあがった。彼は私に背を向けて書棚へ近づいてゆき、棚の隅からウイスキーを取り出した。野田はそのままの位置で、まるでうがいでもする人のようなかっこうで、ぐいッと立ち飲みした。 「刑事さん、あなたもいっぱい飲んでください」
 振り向いた野田は、まるで人柄がちがったようにけわしい表情だった。彼の睫には涙がたまっている。
「なにか深いわけがありそうだが、さしつかえなくば聴かせてください。私は全力をつくして、この事件を解決するつもりです」
「勿論さしさわりがありますがね。しかしわたしは、話さなければいられない気持ちなんです」
 野田はウイスキーの角壜(かくびん)を片手に持って、もとの座へなおった。
「なにもかも打ち明けて話してください。私はあなたの腕をきっと取り戻します」
 すると彼は、しらじらしく笑ってガクリと首をたれた。
「わたしの神経は、いまでも切りはなした腕につながってるんですよ」
 こういって、右の腕を失った憐れな廃兵は、奇怪至極な秘密をうちあけた。


 私は帝大の理工科出身で、建築屋なんです。卒業するころは、もう太平洋戦争がはじまっていました。日本の軍隊は破竹の勢いで南方へ進駐していたんです。いくらでも兵隊が必要な時でしたから私のような青年を見のがして置くわけがありません。しかし軍隊と関係がなかった理由は、六度という近視眼のためでしたよ。ところがどうでしょう。いよいよ旗色が悪くなると、眼鏡を取れば盲目にひとしい私も、とうとう兵隊に引き出されました。そして3カ月の訓練をうけたばかりで、もう南支の泥濘(でいねい)を踏んで、夜も昼も、南へ南へと進軍の幾日をつづけておりましたが、どうした風の吹きまわしだったでしょう? 北支の守備隊に編入されました。さらにひと月ほどして、北京の郊外へ送還され、そこで糧秣倉庫の勤務につきました。そのときは伍長になっており、私は倉庫の班長で、威張っていたんです。食糧倉庫の鍵を預っているということが、どんなに強味だったか、ご想像くださるでしょう。どんな将校だって私の前では頭があがりません。
「おい!よろしくたのむぞ」
 私の顔さえ見れば、肩を軽く叩いて、お世辞笑いのひとつものこして、将校たちは行き過ぎるのでした。ある将校はこんなことをいいましたよ。
「野田、お前のおやじは、東京の八重洲口へ大きなビルを持って、清水組や鹿島と肩をならべ、土建屋の大立物だということだが、おやじのやつ軍の首脳部に、だいぶん懇意なのがあるだろう。お前はうまいところへ納ったよ」
 私はだまって、いつも笑って答えておりました。しかしこれは事実だったのかも知れません。たらふく食って酒を飲んで、退屈したときは、倉庫の鼠を追い回すくらいが関の山なんですから──このところは鉄砲弾ひとつお見舞いされるわけではなく、女の話をしながら部下の兵隊に靴を磨かせているというご身分でした。

 ある日、坂井という主計中尉がやってきて、
「おい! 野田、お前は麻雀ができるということだが本当か」
 嘘ではない──じっさい私は、麻雀だったら二段級の腕前でした。だが、
「こちらは本場なんですからね、大きなこと言っちゃ笑われますよ」
「夕方おれのところへこい。今晩いいところへ連れていってやる」
 中尉はいい男でした。鼻下に美しい髭をたくわえて、長身の彼には軍服がよく似合っておりました。おまけに金ッ放れのいい上官で、どこからあんな金が湧いてくるのか、これはちょっと不審でしたよ。坂井中尉といえば、北京のどんな盛り場を歩いてもすっかり顔になっておりました。

 その晩私は、坂井中尉に連れられて、李という華僑商人の大邸宅へゆきました。もちろん前もって、中尉が連絡してあったんです。シャンデリヤのあかあかと灯った大広間には、5人の美しい女に取りかこまれて、47、8と思われる李大人が、ゆったり椅子へ腰かけていました。あとで聴きましたが、華僑商人の李大人は、62歳だということでしたよ。5人の女は、日本流にいえば妾(めかけ)なんですが、あちらでは夫人と呼ばれていました。大人は私に、いちいち女を紹介しました。彼は言うのです。残念なことには都合があって、この席に第一夫人が見えていない。そこで第二夫人からはじまって、第六夫人までひきあわせました。私は北京語が話せないものですから、すべて坂井中尉が通訳してくれたんです。そのとき私は、中尉とこの家の人達はずいぶん親しい間柄だということを知りました。私はひと晩中、唖のようになっていなければならないのかと、心配しましたが、仕合わせなことには、第三夫人は流暢に英語を話しました。私は大学時代に得意だった英語をあざやかにやってのけ、坂井中尉を驚かせたものです。

 5人の夫人の中で、第三夫人はずばぬけて美しい容貌でした。食事のまえに酒を飲んで、第三夫人のかきならす胡弓を聴きましたが、私はその音の哀調に、しっとり心が濡れてしまい、老松町へ残してきた新婚間もない妻の昭子を忘れました。女は大陸的な悠長さで、そのふくよかな顔は南の国の真ッ白い大輪の花にもまがう優艶な容姿でした。それがシャンデリヤの灯る下で、静かに咲いているのです。
 ご想像してくださるでしょうか、女が朱塗りの椅子へ腰をおろして、膝の上に胡弓をかかえている光景を──いったいこの夫人は、地上のものとは思えません。絵画にある天女の姿をご想像くだすっても、まだまだ不足でございます。
「ただいまの曲は?」
 と私は、はじらいながらいいました。すると女は、
「お耳を汚しましたのは、わたしの産れた桂林の古い曲でございます」
 と答えたんです。
 この席には、坂井中尉と李大人と、それから5人の夫人と私だけでございましたが、英語の話せるのは第三夫人と私だけで、あとはみな空聾でございました。


 5人の美しい夫人に取りまかれて、愉快な麻雀の卓をかこみ、私等は無上の歓待をうけましたが、やがて李大人の邸宅を辞さなければならない時刻になりました。
「おい! 野田。英語が話せなかったら、あれほど第三夫人にもてなかったろう。言葉が通じるということが、異国の男女に思いがけない火遊びをさせるんだ」
「・・・・・・」
 私は押し黙って、夜更けの街を歩いていました。
「おれは、お前と第三夫人が、心の中でなにを語っていたか? よくわかるぞ」
「坂井中尉どの、しゃべらないで静かに歩きましょう」
「お前は、第三夫人の誕生日に、招待される約束をしたろう。ひとりでは決してあの家へ立ち寄ってはいけない」
 それはやはり図星でした。しかし私は笑って、
「僕は、まさか、ひとりで出かけるような男じゃない」
「奇薬を取扱っている商人だから、どんなことをたくらむかわからない。人間を唖にしたりびっこにするくらい、わけなくやるということだ。いいかい──じゃあきっと約束が出来るなぁ」
「約束していいんです」
 といいましたが、じつはまったく約束の出来ないことでした。第三夫人の誕生日は、5月の20日でしたが、私はそれまでの2週間を、どんな思いで過ごしたことでしょう。あなたは北京の5月の空が、どんなに美しいか? ごぞんじないかも知れません。ことに朝がたの、陽の出を見た眼は、かずかずの美しい色彩を織りまぜて、燦々(さんさん)とかがやく建物の北京を、生涯網膜から取り去ることは出来ないでしょう。私はその空間に、第三夫人を思いうかべました。
 コロンという傴僂男が、第三夫人の手紙を持って、秘かに私の糧秣倉庫を訪ねてきたのは、5月20日の午後でした。達筆に英語で綴った手紙には、4、5日まえ李大人が、漢口へ旅行したことが記してございました。
 暗に、ゆっくり時間をつくって、心配なく遊びに来て欲しいという意味だったでしょう。使いにきたコロンは、ビルマのブタオで生まれたものなのですが、幼いころ夫人の桂林の実家へ引きとられ、李大人の第三夫人になるとき、忠実な召使として連れてきたことが、くわしく書かれてありました。傴僂男といいましても、コロンの場合は、色がどす黒くて、唇が椿の花のように紅くて、そのうえ唖だったんです。しかも身の丈は四尺にたりません。薄気味の悪い子供のようなおとなでした。これはあとでわかりましたが、それでいてすばしッこく、底知れない怪力がございます。道案内は、コロンがするので、夫人の部屋まで黙ってついて来て欲しいと書いてございました。

 私はずっと前から20日の夜は、戦友をまいて、外泊する考えでしたが、坂井中尉との約束もあり宿舎のベッドから、どうして抜け出すかが問題でございます。とうとう私は、夜の十時半にそっと寝床をぬけ出しました。それは星ひとつない真ッ暗な晩なんです。倉庫の塀にそってすたこら歩きだすと、コロンがどこからともなく現れました。まるで犬ころのように、塀の隅ッこで寝ておったんでございましょうか。
 第三夫人の邸宅は、糧秣倉庫から約二十丁あまり、雪光寺の小径をぬけていくと、淋しい邸宅街の一角にございました。どうか町名だけは訊かないでおいてください。ただ粘土を盛った塀が、城郭のようにめぐらされている邸宅だと、ご記憶くださればいいのです。私は土塀を見あげてそこでコロンの背に乗っかりました。音もなくコロンの足は裏木戸から邸内へ入って、幾曲がりもいくまがりも塀ぎわを通りぬけて走りました。第三夫人の部屋の前まで、たっぷり14、5分はかかったでしょう。

 夫人はグリンのドレスを裾ながく引き、部屋には麝香(じゃこう)の匂いが立ちこめていました。
「あら! ようこそ!」
 入口の扉が静かに閉まると、大スタンドがオリーブ色の薄絹で包まれ、豪華な寝室と燃えるような絨毯を照らしているではありませんか。私は壁にかかった鬼面の時計を見つめましたが、そのとき奇妙な音色で十二時の刻をつげるのでした。
「あたしの何度目の誕生日だとお思いになって? それからあたしのプレゼントをおあてになってよ、もうおわかりかしら」
 私は右手を夫人の背中へあてがい、軽く抱きかかえて、左の手は、胸のところで柔らかな女の手を執っていましたが、躍る鼓動はどうしようもございません。そこにはチャブ台があって、さまざまな洋酒が夫人の手でカクテルにされました。やがて私は贅沢な寝台の上で、第三夫人の誕生日に、妖しくもまた甘美な夢を、肉体をもってする夫人にサービスされました。私が傴僂男の背に乗って、再び雪光寺の小径へやってきたのは、陽の出に近づいたころでございます。コロンは地べたへひざまずき、私の右の手を執っていただくのです。そしてながいあいだ私の手の甲へ唇を押しあて、まるで神につかえるような儀式をしました。ビルマのブタオでは、主人の大切な客と別れるとき、召使いがこんな礼儀を行うものだと思っていました。


 ひそかに宿舎へ戻って、私がベッドへもぐりこんだことを。気づいた戦友はひとりもございません。私は中いちンちおいて、第三夫人の部屋を訪ねることになっておりました。しかし、その日の午後になると、どうしたことでしょうか、コロンからうけた接吻の箇所が毒虫に刺された跡のように、むず痒くなりました。夜が来ると、もう痒いというのを通り越して、骨の髄まで、その痒みというのが、まるで痛みにかわるようです。左の手で掻きむしり、はては歯で噛んで痒さに苦しむ肉塊を喰い切ってしまいたいほどでした。ベッドへ入っても眠りにつくどころではございません。痒い痒い。たまらなく痒い。右手をかかえて地団駄ふんで駈けまわり、ただもう痒い痒いという騒ぎに、部下の戦友が眼をさまし、私を医務室へ連れこみました。これが普通の兵隊だったら、軍医にお目玉を頂戴して、引きさがったのかも知れません。だが私は、いやしくも糧秣倉庫の班長です。軍医は首をかしげて、子細に診察しましたが、飛びあがり跳ねあがって、痒さを訴えるのが嘘でなかったら、病名はまったく不明なんです。手の甲には青色を帯びた輪型の斑点が出来て、3日目には手首まで痒くなり──いや、全身の神経がそこへ集って、痒いという言葉では説明が出来ないのです。入れかわり立ちかわり、軍医は私の手を執って、臨床しましたけれど、痒い右手は、研究の好資料になるだけで、治療の方法がないのでした。私の右手は医学を研究するヘッポコ軍医に珍重され、3カ月のあいだ野戦病院の話題になりました。

 内地の陸軍病院へ送還されて右の手を切断するまでの苦しみは、とうてい言葉につくせるものではございません。しかし、手術のあと経過がよくて4カ月で退院しました。たとえ片手になろうとも、うずくような痒みがとれましたので、気持ちはたいへん楽になりましたが、出征するまで、私が両方の腕をもって抱きしめていた妻の昭子は、もどかしい幾夜を、満たされないままに、寂しく私と枕をならべて添い寝するのでした。というのは男に右の手がないということは、両手のない妻を持つ夫にもまして、夫婦の性生活をさまたげるものでございます。私の右手は、妖しきまでに妻との性生活にとって、敏感な触手であったことに気がつくのです。
 私は夢の中で、失った右の手を動かして、妻のものを探っていることがございました。そんなときは、ふと眼がさめたとたんに、それは現実に、私の右の手が暗闇の空間へありありと消え去ってゆくようでした。まるで手品師が右の腕をポキンと折って、左の手で空間へなげつけるところを見るようです。巻きタバコを取るときでも、そしてまた、朝夕の膳に向かって箸をとるときでも、妻の昭子は、私がごく自然に、左の手を動かして、巻きタバコをつまみあげ箸を握っているように思うでしょう、だがそれは間違っています。左の手を動かすまえに、すでに失った右の手が、影も形もないのに、巻きタバコをつまみあげようとし、箸を握ろうとするのです。

 このように右の手が、意識のままに動いた後でなければ左の手は決して働きません。私は明けても暮れても、切断した右の腕に執着しましたが、もうすっかり諦めていました。ところが10日ほど前から、切断したはずの右の手がむずむず痒くて仕方がありません。あなたは、そんなバカ気たことがあるものかとお笑いになるでしょう。しかしそれは事実でございます。私は4、5日まえに病院へいって切断した右の手がひどく痒くなったわけを話しました。すると医長は笑って、 「手術して切り放した手が痒いなんて、それはどうにも、われわれでは手段のほどこしようがないことだ」
 というのです。
「先生、僕の腕は病理学室でアルコール漬けになっているということですが、どうか見せてください」
 といいました。私はその腕を、アルコールの中から引き出して、左の手で思うぞんぶん掻きむしりたかったんです。
「あまり神経質になることは止したまえ、見ない方が結果においていいだろうよ」  医長はこういって、私の切ない哀願を、しりぞけたんです。
 私が腕を取り戻そうとかたく決意したのはそのときでした。
 私の腕はただいま私の家にございます。

   ×  ×  ×

 野田榮太郎はこの話を終わるころ、角壜のウイスキーをほとんど飲みつくしていた。彼はよろめく足どりで立ちあがり、
「痒い! 痒い!」
 と悲痛な血相で叫びつづけた。

(『夫婦生活』昭和24年7月号)

閉じる